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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(379)

松野殿後家尼御前御返事

 弘安2年(ʼ79)3月26日 58歳 松野殿後家尼

 法華経第五の巻の安楽行品に云わく「文殊師利よ。この法華経は無量の国の中において、乃至名字をも聞くことを得べからず」云々。
 この文の心は、我ら衆生の三界六道に輪回せしことは、あるいは天に生まれ、あるいは人に生まれ、あるいは地獄に生まれ、あるいは餓鬼に生まれ、畜生に生まれ、無量の国に生をうけて、無辺の苦しみをうけて、たのしみにあいしかども、一度も法華経の国には生ぜず。たまたま生まれたりといえども、南無妙法蓮華経と唱えず。となうることはゆめにもなし。人の申すをも聞かず。
 仏のたとえを説かせ給うに、一眼の亀の浮き木の穴に値いがたきにたとえ給うなり。
 心は、大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり。手足もなく、ひれもなし。腹のあつきことは、くろがねのやけるがごとし。せなかのこうのさむきことは、雪山ににたり。この魚の昼夜朝暮のねがい、時々剋々の口ずさみには、腹をひやし、こうをあたためんと思う。赤栴檀と申す木をば聖木と名づく。人の中の聖人なり。余の一切の木をば凡木と申す。愚人のごとし。この栴檀の木は、この魚の腹をひやす木なり。あわれ、この木にのぼりて腹をば穴に入れてひやし、こうをば天の日にあててあ