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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

たためばやと申すなり。
 自然のことわりとして、千年に一度出ずる亀なり。しかれども、この木に値うことかたし。大海は広し、亀はちいさし、浮き木はまれなり。たといよのうきぎにはあえども、栴檀にはあわず。あえども、亀の腹をえりはめたるように、がい分に相応したる浮き木の穴にあいがたし。我が身おち入りなば、こうをもあたためがたし。誰かまたとりあぐべき。また穴せばくして、腹を穴に入れえずんば、波にあらいおとされて、大海にしずみなん。
 たとい不思議として栴檀の浮き木の穴にたまたま行きあえども、我が一眼のひがめる故に、浮き木西にながるれば東と見る故に、いそいでのらんと思っておよげば、いよいよとおざかる。東に流るるを西と見る。南北もまたかくのごとし云々。浮き木にはとおざかれども近づくことはなし。かくのごとく無量無辺劫にも一眼の亀の浮き木の穴にあいがたきことを仏説き給えり。
 この喩えをとりて、法華経にあいがたきに譬う。たといあえども、となえがたき題目の妙法の穴にあいがたきことを心うべきなり。大海をば生死の苦海なり、亀をば我ら衆生にたとえたり。手足のなきをば善根の我らが身にそなわらざるにたとえ、腹のあつきをば我らが瞋恚の八熱地獄にたとえ、背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとえ、千年大海の底にあるをば我らが三悪道に堕ちて浮かびがたきにたとえ、千年に一度浮かぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生まれて、釈迦仏の出世にあいがたきにたとう。余の松の木・ひの木の浮き木にはあいやすく、栴檀にはあいがたし。一切経には値いやすく、法華経にはあいがたきに譬えたり。たとい栴檀には値うとも、相応したる穴にあいがた