は先立ち、若きは留まる。これは順次の道理なり。歎きの中にも、せめて思いなぐさむ方も有りぬべし。老いたるは留まり、若きは先立つ。されば、恨みの至って恨めしきは、幼くして親に先立つ子、歎きの至って歎かしきは、老いて子を先立つる親なり。かくのごとく、生死無常、老少不定の境、あだにはかなき世の中に、ただ昼夜に今生の貯えをのみ思い、朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬わず法をも信ぜず、無行・無智にしていたずらに明かし暮らして、閻魔の庁庭に引き迎えられん時は、何をもってか資糧として三界の長途を行き、何をもって船筏として生死の曠海を渡って実報・寂光の仏土に至らんや」と思い、「迷えば夢、覚れば寤。しかじ、夢の憂き世を捨てて寤の覚りを求めんには」と思惟し、彼の山に籠もって観念の牀の上に妄想・顚倒の塵を払い、ひとえに仏法を求め給うところに、帝釈、遥かに天より見下ろし給いて思しめさるる様は、「魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人もまたかくのごとし。菩提心を発す人は多けれども、退せずして実の道に入る者は少なし。すべて凡夫の菩提心は、多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすきものなり。鎧を着たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさざるは少なきがごとし。この人の意を行って試みばや」と思って、帝釈、鬼神の形を現じ、童子の側に立ち給う。
その時、仏世にましまさざれば、雪山童子あまねく大乗経を求むるに、聞くことあたわず。時に、「諸行は無常なり。これ生滅の法なり」と云う音、ほのかに聞こゆ。童子驚き、四方を見給うに人もなし。ただ鬼神近付いて立ちたり。その形けわしくおそろしくして、頭のかみは炎のごとく、口の歯は剣のごとく、目を瞋らして雪山童子をまぼり奉る。これを見るにも恐れず、ひとえに仏法を聞か
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(374)松野殿御返事(十四誹謗の事) | 建治2年(’76)12月9日 | 55歳 | 松野六郎左衛門 |