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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(374)

松野殿御返事(十四誹謗の事)

 建治2年(ʼ76)12月9日 55歳 松野六郎左衛門

 鵝目一結・白米一駄・白小袖一つ、送り給び畢わんぬ。
 そもそも、この山と申すは、南は野山漫々として百余里に及べり。北は身延山高く峙って白根が岳につづき、西には七面と申す山、峨々として白雪絶えず、人の住み家一宇もなし。たまたま問いくるものとては、梢を伝う猿猴なれば、少しも留まることなく、還るさ急ぐ恨みなるかな。東は富士河漲って流沙の浪に異ならず。かかる所なれば、訪う人も希なるに、かように度々音信せさせ給うこと、不思議の中の不思議なり。
 実相寺の学徒・日源は、日蓮に帰伏して、所領を捨て、弟子檀那に放され御座しまして、我が身だにも置き処なき由承り候に、日蓮を訪い、衆僧を哀れみさせ給うこと、誠の道心なり、聖人なり。すでに彼の人は無双の学生ぞかし。しかるに、名聞名利を捨てて某が弟子と成って、我が身には我不愛身命の修行を致し、仏の御恩を報ぜんと面々までも教化申し、かくのごとく供養等まで捧げしめ給うこと、不思議なり。
 「末世には、狗犬の僧尼は恒沙のごとし」と仏は説かせ給いて候なり。文の意は、末世の僧・比丘