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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

軽んずるになるべし」とて、礼拝の行をば立てさせ給いしなり。法華経を持たざる者をさえ、「もし持ちやせんずらん、仏性あり」とて、かくのごとく礼拝し給う。いかにいわんや、持てる在家・出家の者をや。この経の四の巻には「もしは在家にてもあれ、出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀ることあらば、その罪多きこと、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見えたり。あるいは「もしは実にもあれ、もしは不実にもあれ」とも説かれたり。
 これをもってこれを思うに、忘れても法華経を持つ者をば互いに毀るべからざるか。その故は、法華経を持つ者は必ず皆仏なり、仏を毀っては罪を得るなり。
 かように心得て唱うる題目の功徳は、釈尊の御功徳と等しかるべし。釈に云わく「阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」云々。十四誹謗の心は文に任せて推量あるべし。
 かように法門を御尋ね候こと、誠に後世を願わせ給う人か。「能くこの法を聴く者、この人もまた難し」とて、この経は正しき仏の御使い世に出でずんば、仏の御本意のごとく説くこと難き上、この経のいわれを問い尋ねて、不審を明らめ、能く信ずる者、難かるべしと見えて候。
 いかに賤しき者なりとも少し我より勝れて智慧ある人には、この経のいわれを問い尋ね給うべし。しかるに、悪世の衆生は我慢偏執・名聞名利に著して「彼が弟子と成るべきか、彼に物を習わば、人にや賤しく思われんずらん」と不断に悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。法師品には「人有って八十億劫の間、無量の宝を尽くして仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説かん僧を供養し