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なによりも入道殿の御所労、なげき入って候。「しばらくいきさせ給いて、法華経を謗ずる世の中御覧あれ」と候え。日本国の人々は、大体はいけどりにせられ候わんずるなり。日蓮を二度までながし、法華経の五の巻をもってこうべを打ち候いしは、こり候わんずらん。
七月二十六日 日蓮 花押
御返事
(361)
妙心尼御前御返事(病之良薬の事)
建治元年(ʼ75)8月16日 54歳 窪尼
あわしがき二籠・なすび一こ、給び候い了わんぬ。
入道殿の御所労のこと。唐土に黄帝・扁鵲と申せしくすしあり。天竺に持水・耆婆と申せしくすしあり。これらは、その世のたから、末代のくすしの師なり。仏と申せし人は、これにはにるべくもなきいみじきくすしなり。この仏、不死の薬をとかせ給えり。今の妙法蓮華経の五字これなり。しかも、この五字をば「閻浮提の人の病の良薬なり」とこそとかれて候え。入道殿は、閻浮提の内、日本国の人なり。しかも身に病をうけられて候。「病の良薬なり」の経文顕然なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(360)高橋殿女房御返事 | 建治元年(’75)7月26日 | 54歳 | 窪尼<高橋六郎兵衛の妻> |
(361)妙心尼御前御返事(病之良薬の事) | 建治元年(’75)8月16日 | 54歳 | 窪尼 |