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は、いつよすべき」と申せしかば、「今年よすべし。それにとて、日蓮はなして日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとおもいしたうならば、日本国の念仏者と禅と律僧等の頸を切ってゆいのはまにかくべし。それも今はすぎぬ。ただし、皆人のおもいて候は、日蓮をば念仏と禅と律をそしるとおもいて候。これは物のかずにてかずならず。真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大いなる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師、このことにまどいて、この国を亡ぼさんとするなり。たとい二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらするほどならば、一年、半年にこの国せめらるべし」と申しきかせ候いき。
たすけんがために申すを、これ程あだまるることなれば、ゆりて候いし時、さどの国よりいかなる山中・海辺にもまぎれ入るべかりしかども、このことをいま一度平左衛門に申しきかせて、日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候いき。また申しきかせ候いし後は、かまくらに有るべきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜にて候いしかば、たとい各々はいとわせ給うとも、今一度はみたてまつらんと、千度おもいしかども、心に心をたたかいて、すぎ候いき。
そのゆえは、するがの国は守殿の御領、ことにふじなんどは後家尼ごぜんの内の人々多し。「故最明寺殿・極楽寺殿の御かたき」といきどおらせ給うなれば、ききつけられば各々の御なげきなるべしとおもいし心ばかりなり。いまにいたるまでも不便におもいまいらせ候えば、御返事までも申さず候いき。この御房たちのゆきずりにも、「あなかしこ、あなかしこ。ふじ・かじまのへんへ立ちよるべからず」と申せども、いかが候らんとおぼつかなし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(359)高橋入道殿御返事 | 建治元年(’75)7月12日 | 54歳 | 高橋六郎兵衛 |