1957ページ
るるならば、仏法はいまだわきまえず、人のせめはたえがたし。仏法を行ずるは安穏なるべしとこそおもうに、この法を持つによって大難出来するは、しんぬ、この法を邪法なりと誹謗して悪道に堕つべし。これも不便なり。またこれを申さずば、仏誓に違する上、一切衆生の怨敵なり。大阿鼻地獄疑いなし。いかんがせんとおもいしかども、おもい切って申し出だしぬ。
申し始めし上は、またひきさすべきにもあらざれば、いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく、国主もあだみ、万民もせめき。あだをなせしかば、天もいかりて日月に大変あり。大せいせいも出現しぬ。大地もふりかえしぬべくなりぬ。どしうちもはじまり、他国よりもせめたり。仏の記文すこしもたがわず、日蓮が法華経の行者なることも疑わず。
ただし、去年、かまくらよりこのところへにげ入り候いし時、道にて候えば、各々にも申すべく候いしかども、申すこともなし、また先度の御返事も申し候わぬことは、べちの子細も候わず。なに事にか各々をばへだてまいらせ候べき。あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも、ならびに国主等もたすけんがためにこそ申せ、かれらのあだをなすは、いよいよ不便にこそ候え。まして、一日も我がかたとて心よせなる人々は、いかんがおろかなるべき。世間のおそろしさに妻子ある人々のとおざかるをば、ことに悦ぶ身なり。日蓮に付いて、たすけやりたるかたはなき上、わずかの所領をも召さるるならば、子細もしらぬ妻子・所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。
しかも、去年の二月に御勘気をゆりて、三月の十三日に佐渡国を立ち、同月の二十六日にかまくらに入り、同四月の八日、平のさえもんの尉にあいたりし時、ようようの事どもといし中に、「蒙古国
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(359)高橋入道殿御返事 | 建治元年(’75)7月12日 | 54歳 | 高橋六郎兵衛 |