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や日蓮はかれにすぐべき」とはわが弟子等おぼせども、仏の記文にはたがわず。
「末法に入って、仏法をぼうじて無間地獄に堕つべきものは大地微塵よりも多く、正法をえたらん人は爪上の土よりもすくなし」と涅槃経にはとかれ、法華経には「たとい須弥山をなぐるものはありとも、我が末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたし」と記しおかせ給えり。大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちないおん経・最勝王経等に、「末法に入って正法を行ぜん人出来せば、邪法のもの、王臣等にうったえてあらんほどに、彼の王臣等、他人がことばについて、一人の正法のものを、あるいはのり、あるいはせめ、あるいはながし、あるいはころさば、梵王・帝釈・無量の諸天・天神・地神等、りんごくの賢王の身に入りかわって、その国をほろぼすべし」と記し給えり。今の世は似て候ものかな。
そもそも、各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪わせ給えるぞ。能く能く過去を御尋ねあらば、なにと無くとも、この度生死は離れさせ給うべし。すりはんどくは、三箇年に十四字を暗にせざりしかども、仏に成りぬ。提婆は、六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。これひとえに末代の今の世を表するなり。あえて人の上と思しめすべからず。事繁ければ、止め置き候い畢わんぬ。
そもそも、当時の悤々に、御志申すばかり候わねば、大事のこと、あらあらおどろかしまいらせ候。
ささげ・青大豆、給び候いぬ。
六月二十二日 日蓮 花押
西山殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(352)三三蔵祈雨事 | 建治元年(’75)6月22日 | 54歳 | 西山殿 |