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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(352)

三三蔵祈雨事

 建治元年(ʼ75)6月22日 54歳 西山殿

 夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず。本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず。すこし健げの者も、独りなれば悪しきみちにはたおれぬ。
 また、三千大千世界のなかには、舎利弗・迦葉尊者をのぞいては、仏よにいで給わずば、一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏をたのみまいらせし強縁によりて、一切衆生はおおく仏になりしなり。まして阿闍世王・おうくつまらなんど申せし悪人どもは、いかにもかなうまじくて、必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども、教主釈尊と申す大人にゆきあわせ給いてこそ仏にはならせ給いしか。
 されば、仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちえなににかせん。ただあつき・つめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。
 しかるに、善知識に値うことが第一のかたきことなり。されば、仏は善知識に値うことをば、一眼のかめの浮き木に入り、梵天よりいとを下して大地のはりのめに入るにたとえ給えり。しかるに、末代悪世には悪知識は大地微塵よりもおおく、善知識は爪上の土よりもすくなし。