1941ページ
補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識、別・円二教をおしえて、いまだ純円ならず。常啼菩薩は身をうって善知識をもとめしに、曇無竭菩薩にあえり。通・別・円の三教をならいて、法華経をおしえず。舎利弗は金師が善知識、九十日と申せしかば、闡提の人となしたりき。ふるなは一夏の説法に大乗の機を小人となす。大聖すら法華経をゆるされず。証果のらかん、機をしらず。末代悪世の学者等をば、これをもってすいしぬべし。天を地といい、東を西といい、火を水とおしえ、星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこえたりなんど申す人々を信じて候わん人々は、ならわざらん悪人にははるかおとりてあしかりぬべし。
日蓮、仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。また道理・証文よりも現証にはすぎず。しかるに、去ぬる文永五年の比、東には俘囚おこり、西には蒙古よりせめつかいつきぬ。日蓮案じて云わく、仏法を信ぜざればなり。定めて調伏おこなわれんずらん。調伏はまた真言宗にてぞあらんずらん。月支・漢土・日本、三箇国の間に、しばらく月支はおく、漢土・日本の二国は真言宗にやぶらるべし。
善無畏三蔵、漢土に亘ってありし時は、唐の玄宗の時なり。大旱魃ありしに、祈雨の法をおおせつけられて候いしに、大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大いに悦びしほどに、須臾ありて大風吹き来って国土をふきやぶりしかば、きょうさめてありしなり。またその世に金剛智三蔵わたる。また雨の御いのりありしかば、七日が内に大雨下る。上のごとく悦んでありしほどに、前代未聞の大風吹きしかば、「真言宗はおそろしき悪法なり」とて月支へおわれしが、とこうしてとどまりぬ。ま
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(352)三三蔵祈雨事 | 建治元年(’75)6月22日 | 54歳 | 西山殿 |