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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

をとり、つめていうべし。仏法はさておきぬ、上にかきぬること、天下第一の大事なり。つてにおおせあるべからず。御心ざしのいたりて候えば、おどろかしまいらせ候。
 日蓮をば、「いかんがあるべかるらんとおぼつかなし」とおぼしめすべきゆえに、かかる事ども候。むこり国だにもつよくせめ候わば、今生にもひろまることも候いなん。あまりにはげしくあたりし人々は、くゆるへんもやあらんずらん。
 外道と申すは、仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしが、ようやくわかれて九十五種なり。その中に多くの智者、神通のものありしかども、一人も生死をはなれず。また帰依せし人々も、善につけ悪につけて、皆三悪道に堕ち候いしを、仏出世せさせ給いてありしかば、九十五種の外道、十六大国の王臣・諸民をかたらいて、あるいはのり、あるいはうち、あるいは弟子あるいはだんな等、無量無辺ころせしかども、仏たゆむ心なし。「我この法門を諸人におどされていいやむほどならば、一切衆生地獄に堕つべし」とつよくなげかせ給いしゆえに、退する心なし。この外道と申すは、先仏の経々を見て、よみそこないて候いしより事おこれり。
 今もまたかくのごとし。日本の法門多しといえども、源は、八宗・九宗・十宗よりおこれり。十宗のなかに華厳等の宗々はさておきぬ、真言と天台との勝劣に弘法・慈覚・智証のまどいしによりて、日本国の人々、今生は他国にもせめられ、後生にも悪道に堕つるなり。漢土のほろび、また悪道に堕つることも、善無畏・金剛智・不空のあやまりよりはじまれり。また天台宗の人々も、慈覚・智証より後は、かの人々の智慧にせかれて天台宗のごとくならず。されば、「さのみやはあるべき。いおう