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いしこと故大罪なれども、懺悔しやすし」と云々。
このことを大王に申す。大王の言わく「我が願、既にしるし有り」とて、遺竜いよいよ朝恩を蒙り、国またこぞってこの御経を仰ぎ奉る。
しかるに、故五郎殿と入道殿とは、尼御前の父なり、子なり。尼御前は彼の入道殿のむすめなり。今こそ入道殿は都率の内院へ参り給うらめ。この由をはわきどの、よみきかせまいらせ給い候え。事々そうそうにて、くわしく申さず候。恐々謹言。
十一月十五日 日蓮 花押
上野尼ごぜん御返事
(336)
上野殿母御前御返事(百箇日追善の事)
弘安3年(ʼ80)12月中旬 59歳 上野尼
麞牙二石ならびに鷷鵄一だ。故五郎殿百箇日等云々。
法華経の第七に云わく「川流江河の諸水の中に、海はこれ第一なり。この法華経もまたかくのごとし」等云々。この経文は、法華経をば大海に譬えられて候。大海と申すは、ふかきこと八万四千由
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(335)上野尼御前御返事(烏竜遺竜の事) | 弘安3年(’80)11月15日 | 59歳 | 上野尼 |
(336)上野殿母御前御返事(百箇日追善の事) | 弘安3年(’80)12月中旬 | 59歳 | 上野尼 |