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きとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に、無間に堕つ。日々に舌をぬかるること数百度、あるいは死し、あるいは生き、天に仰ぎ地に伏してなげけども、叶うことなし。人間へ告げんと思えども、便りなし。汝、我が子として遺言なりと申せしかば、その言炎と成って身を責め、剣と成って天より雨り下る。汝が不孝極まり無かりしかども、我が遺言を違えざりし故に、自業自得果、うらみがたかりしところに、金色の仏一体、無間地獄に出現して、『たとい、法界に遍き、善を断ちたる諸の衆生も、一たび法華経を聞かば、決定して菩提を成ぜん』云々。この仏、無間地獄に入り給いしかば、大水を大火になげたるがごとし。少し苦しみやみぬるところに、我合掌して仏に問い奉って『いかなる仏ぞ』と申せば、仏答えて『我は、これ汝が子息・遺竜が只今書くところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字なり』と言う。八巻の題目は八八六十四の仏、六十四の満月と成り給えば、無間地獄の大闇即ち大明となりし上、無間地獄は、『当位は即ち妙なり。本位を改めず』と申して、常寂光の都と成りぬ。我および罪人とは、皆、蓮の上の仏と成って、只今都率の内院へ上り参り候が、まず汝に告ぐるなり」と云々。
遺竜云わく「我が手にて書きけり。いかでか君たすかり給うべき。しかも我が心よりかくにあらず。いかに、いかに」と申せば、父答えて云わく「汝はかなし。汝が手は我が手なり。汝が身は我が身なり。汝が書きし字は我が書きし字なり。汝、心に信ぜざれども、手に書く故に、既にたすかりぬ。譬えば、小児の火を放つに、心にあらざれども、物を焼くがごとし。法華経もまたかくのごとし。存外に信を成せば、必ず仏になる。またその義を知って謗ずることなかれ。ただし在家のことなれば、い
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(335)上野尼御前御返事(烏竜遺竜の事) | 弘安3年(’80)11月15日 | 59歳 | 上野尼 |