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勝れたる手跡なり。たといいかなる悪縁ありとも、法華経をかくべからず」と云々。しかして後、五根より血の出ずること泉の涌くがごとし。舌八つにさけ、身くだけて十方にわかれぬ。しかれども、一類の人々も、三悪道を知らざれば、地獄に堕つる先相ともしらず。
その子をば遺竜と申す。また漢土第一の手跡なり。親の跡を追って法華経を書かじという願を立てたり。その時、大王おわします。司馬氏と名づく。仏法を信じ、殊に法華経をあおぎ給いしが、同じくは我が国の中に手跡第一の者にこの経を書かせて持経とせんとて、遺竜を召す。竜申さく「父の遺言あり。こればかりは免し給え」と云々。大王、父の遺言と申す故に、他の手跡を召して一経をうつし畢わんぬ。しかりといえども、御心に叶い給わざりしかば、また遺竜を召して言わく「汝、親の遺言と申せば、朕まげて経を写させず。ただし、八巻の題目ばかりを勅に随うべし」と云々。返す返す辞し申すに、王瞋って云わく「汝が父というも我が臣なり。親の不孝を恐れて題目を書かずば、違勅の科あり」と勅定度々重かりしかば、不孝はさることなれども、当座の責めをのがれがたかりしかば、法華経の外題を書いて王へ上げ、宅に帰って父のはかに向かって血の涙を流して申す様は、「天子の責め重きによって、亡き父の遺言をたがえて、既に法華経の外題を書きぬ。不孝の責め免れがたし」と歎いて、三日の間、墓を離れず、食を断ち、既に命に及ぶ。
三日と申す寅時に、すでに絶死し畢わって夢のごとし。虚空を見れば、天人一人おわします。帝釈を絵にかきたるがごとし。無量の眷属、天地に充満せり。ここに竜問うて云わく「いかなる人ぞ」。答えて云わく「汝知らずや。我はこれ父の烏竜なり。我、人間にありし時、外典を執し、仏法をかた
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(335)上野尼御前御返事(烏竜遺竜の事) | 弘安3年(’80)11月15日 | 59歳 | 上野尼 |