1913ページ
は後なり。あるいは前菓後花と申して、菓は前に花は後なり。あるいは一花多菓、あるいは多花一菓、あるいは無花有菓と、品々に候えども、蓮華と申す花は菓と花と同時なり。一切経の功徳は、先に善根を作して後に仏とは成ると説く。かかる故に不定なり。法華経と申すは、手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱うればその口即ち仏なり。譬えば、天月の東の山の端に出ずれば、その時即ち水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同時なるがごとし。故に、経に云わく「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」云々。文の心は、この経を持つ人は、百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。
そもそも、御消息を見候えば、尼御前の慈父・故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云々。子息多ければ孝養まちまちなり。しかれども、必ず法華経にあらざれば、謗法等云々。
釈迦仏の金口の説に云わく「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と。多宝の証明に云わく「妙法蓮華経は、皆これ真実なり」と。十方の諸仏の誓いに云わく「舌相は梵天に至る」云々。
これより、ひつじさるの方に、大海をわたりて国あり。漢土と名づく。彼の国には、あるいは仏を信じて神を用いぬ人もあり、あるいは神を信じて仏を用いぬ人もあり。あるいは日本国も、始めはさこそ候いしか。しかるに、彼の国に烏竜と申す手書きありき。漢土第一の手なり。例せば、日本国の道風・行成等のごとし。この人、仏法をいみて経をかかじと申す願を立てたり。この人死期来って重病をうけ、臨終におよんで子に遺言して云わく「汝は我が子なり。その跡絶えずして、また我よりも
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(335)上野尼御前御返事(烏竜遺竜の事) | 弘安3年(’80)11月15日 | 59歳 | 上野尼 |