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旬、広きことまたかくのごとし。この大海の中にはなになにのすみ候と申し候えば、阿修羅王(数紙欠)
字、百千万の字あつまって法華経ならせ給いて候えば、大海に譬えられて候。また大海の一渧は江河の渧と少しくは同じといえども、その義はるかにかわれり。江河の一渧はただ一水なり一雨なり、大海の一渧は四天下の水あつまって一渧をつくれり。一河の一渧は一つの金のごとし、大海の一渧は如意宝珠のごとし。一河の一渧は一つのあじわい、大海の一渧は五味のあじわい。江河の一渧は一つの薬なり、大海の一渧は万種の一丸のごとし。南無阿弥陀仏は一河の一渧、南無妙法蓮華経は大海の一渧。阿弥陀経は小河の一てい、法華経の一字は大海の一てい。故五郎殿の十六年が間の罪は江河の一てい、須臾の間の南無妙法蓮華経は大海の一てい等云々。
夫れ以んみれば、花はつぼみさいて菓なる。おやは死んで子にになわる。これ次第なり。譬えば。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(336)上野殿母御前御返事(百箇日追善の事) | 弘安3年(’80)12月中旬 | 59歳 | 上野尼 |