1910ページ
ば、后・太子・大臣・一国、皆母に別れたる子のごとく、皆色をうしないて涙を袖におびたり。いかんせん、いかんせん。
その国に外道多し。当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等のごとし。また仏の弟子も有り。当時の法華宗の人々のごとし。中悪しきこと水火なり。胡と越とに似たり。大王、勅宣を下して云わく「一切の外道この馬をいななかせば、仏教を失って一向に外道を信ぜんこと諸天の帝釈を敬うがごとくならん。仏弟子この馬をいななかせば、一切の外道の頸を切り、その所をうばい取って仏弟子につくべし」と云々。外道も色をうしない、仏弟子も歎きあえり。
しかれども、さてはつべきことならねば、外道は先に七日を行いき。白鳥も来らず、白馬もいななかず。後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴と申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給う法華経をもって七日祈りしかば、白鳥壇上に飛び来る。この鳥、一声鳴きしかば、一馬、一声いななく。大王は馬の声を聞いて病の牀よりおき給う。后より始めて諸人、馬鳴に向かって礼拝をなす。白鳥、一・二・三乃至十・百・千出来して国中に充満せり。白馬しきりにいななき、一馬二馬乃至百・千の白馬いななきしかば、大王この音を聞こしめし、面貌は三十ばかり、心は日のごとく明らかに、政正直なりしかば、天より甘露ふり下り、勅風万民をなびかして、無量百歳、代を治め給いき。
仏もまたかくのごとく、多宝仏と申す仏は、この経にあい給わざれば御入滅、この経をよむ代には出現し給う。釈迦仏・十方の諸仏もまたまたかくのごとし。かかる不思議の徳まします経なれば、この経を持つ人をば、いかでか天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩すてさせ給うべきと、たのもし
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(334)上野殿母御前御返事(四十九日菩提の事) | 弘安3年(’80)10月24日 | 59歳 | 上野尼 |