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きことなり。またこの経にあだをなす国をば、いかに正直に祈り候えども、必ずその国に七難起こって、他国に破られて亡国となり候こと、大海の中の大船の大風に値うがごとく、大旱魃の草木を枯らすがごとしとおぼしめせ。当時、日本国のいかなるいのり候とも、日蓮が一門・法華経の行者をあなずらせ給えば、さまざまの御いのり叶わずして、大蒙古国にせめられて、すでにほろびんとするがごとし。今も御覧ぜよ。ただかくては候まじきぞ。これ皆、法華経をあだませ給う故と御信用あるべし。
そもそも、故五郎殿かくれ給いて既に四十九日なり。無常はつねの習いなれども、このことはうちきく人すら、なおしのびがたし。いおうや、母となり妻となる人をや。心のほどおしはかられて候。人の子にはおさなきもあり、おとなしきもあり、みにくきもあり、かたわなるもあり、おもいになるべきにや、おのこごたる上、かたわにもなし、ゆみやにもささいなし、心もなさけあり。故上野殿には盛んなりし時おくれてなげき浅からざりしに、この子をはらみていまださんなかりしかば、火にも入り水にも入らんと思いしに、この子すでに平安なりしかば、誰にあつらえて身をもなぐべきと思って、これに心をなぐさめて、この十四・五年はすぎぬ。
いかにいかにとすべき。二人のおのこごにこそになわれめと、たのもしく思い候いつるに、今年九月五日、月を雲にかくされ、花を風にふかせて、ゆめかゆめならざるか、あわれひさしきゆめかなと、なげきおり候えば、うつつににて、すでに四十九日はせすぎぬ。まことならばいかんがせん、いかんがせん。さける花はちらずして、つぼめる花のかれたる。おいたる母はとどまりて、わかきこはさり
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(334)上野殿母御前御返事(四十九日菩提の事) | 弘安3年(’80)10月24日 | 59歳 | 上野尼 |