1909ページ
ば、一切の諸仏、霊山浄土に集まらせ給いて、あるいは手にすえ、あるいは頂をなで、あるいはいだき、あるいは悦び、月の始めて出でたるがごとく、花の始めてさけるがごとく、いかに愛しまいらせ給うらん。
そもそも、いかなれば三世十方の諸仏はあながちにこの法華経をば守らせ給うと勘えて候えば、道理にて候いけるぞ。法華経と申すは、三世十方の諸仏の父母なり、めのとなり、主にてましましけるぞや。かえると申す虫は母の音を食とす。母の声を聞かざれば生長することなし。からぐらと申す虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみかとす。仏もまたかくのごとく、法華経を命とし、食とし、すみかとし給うなり。魚は水にすむ。仏はこの経にすみ給う。鳥は木にすむ。仏はこの経にすみ給う。月は水にやどる。仏はこの経にやどり給う。この経なき国には仏ましますことなしと御心得あるべく候。
古昔、輪陀王と申せし王おわしき。南閻浮提の主なり。この王はなにをか供御とし給いしと尋ぬれば、白馬のいななくを聞いて食とし給う。この王は、白馬のいななけば年も若くなり、色も盛んに、魂もいさぎよく、力もつよく、また政事も明らかなり。故に、その国には白馬を多くあつめ、飼いしなり。譬えば、魏王と申せし王の鶴を多くあつめ、徳宗皇帝のほたるを愛せしがごとし。白馬のいななくことは、また白鳥の鳴きし故なり。さればまた、白鳥を多く集めしなり。
ある時、いかんがしけん、白鳥皆うせて白馬いななかざりしかば、大王、供御たえて、盛んなる花の露にしおれしがごとく、満月の雲におおわれたるがごとし。この王既にかくれさせ給わんとせしか
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(334)上野殿母御前御返事(四十九日菩提の事) | 弘安3年(’80)10月24日 | 59歳 | 上野尼 |