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貴辺は日本国第一の孝養の人なり。梵天・帝釈おり下って左右の羽となり、四方の地神は足をいただいて父母とあおぎ給うらん。事多しといえども、とどめ候い畢わんぬ。恐々謹言。
弘安三年三月八日 日蓮 花押
進上 上野殿御返事
(330)
上野殿御返事(神主等庇護の事)
弘安3年(ʼ80)7月2日 59歳 南条時光
去ぬる六月十五日のげんざん、悦び入って候。さては、こうぬし等がこと、いままでかかえおかせ給いて候こと、ありがたくおぼえ候。ただし、ないないは法華経をあだませ給うにては候えども、うえにはたのことによせて事かずけにくまるるかのゆえに、あつわらのものに事をよせて、かしこ・ここをもせかれ候こそ候めれ。さればとて、上に事をよせてせかれ候わんに御もちい候わずば、物おぼえぬ人にならせ給うべし。おかせ給いてあしかりぬべきようにて候わば、しばらくこうぬし等をばこれへとおおせ候べし。めこなんどはそれに候とも、よも御たずねは候わじ。事のしずまるまで、それにおかせ給いて候わば、よろしく候いなんとおぼえ候。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(329)上野殿御返事(孝不孝の事) | 弘安3年(’80)3月8日 | 59歳 | 南条時光 |
(330)上野殿御返事(神主等庇護の事) | 弘安3年(’80)7月2日 | 59歳 | 南条時光 |