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目連尊者の母の餓鬼道の苦をすくいしは、わずかに人天の苦をすくいて、いまだ成仏のみちにはいれず。釈迦如来は、御年三十の時、父・浄飯王に法を説いて第四果をえせしめ給えり。母の摩耶夫人をば、御年三十八の時、阿羅漢果をえせしめ給えり。これらは孝養ににたれども、還って仏に不孝のとがあり。わずかに六道をばはなれしめたれども、父母をば永不成仏の道に入れ給えり。譬えば、太子を凡下の者となし、王女を匹夫にあわせたるがごとし。
されば、仏説いて云わく「我は則ち慳貪に堕せん。この事は不可となす」云々。仏は父母に甘露をおしみて麦の飯を与えたる人、清み酒をおしみて濁り酒をのませたる不孝第一の人なり。波瑠璃王のごとく現身に無間大城におち、阿闍世王のごとく即身に白癩病をもつきぬべかりしが、四十二年と申せしに法華経を説き給いて、「この人は滅度の想いを生じて、涅槃に入るといえども、彼の土において、仏の智慧を求め、この経を聞くことを得ん」と、父母の御孝養のために法華経を説き給いしかば、宝浄世界の多宝仏も「実の孝養の仏なり」とほめ給い、十方の諸仏もあつまりて、「一切諸仏の中には孝養第一の仏なり」と定め奉りき。
これをもって案ずるに、日本国の人は皆、不孝の仁ぞかし。涅槃経の文に、「不孝の者は大地微塵よりも多し」と説き給えり。されば、天の日月、八万四千の星、各いかりをなし、眼をいからかして日本国をにらめ給う。今の陰陽師の「天変頻りなり」と奏し申す、これなり。地夭、日々に起こって大海の上に小船をうかべたるがごとし。今の日本国の、小児は魄をうしない、女人は血をはく、これなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(329)上野殿御返事(孝不孝の事) | 弘安3年(’80)3月8日 | 59歳 | 南条時光 |