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のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり。これは、いかなる時も、つねはたいせずとわせ給えば、水のごとく信ぜさせ給えるか。とうとし、とうとし。
まことやらん、いえの内にわずらいの候なるは。よも鬼神のそいには候わじ。十らせち女の、信心のぶんざいを御心みぞ候らん。まことの鬼神ならば、法華経の行者をなやましてこうべわれんとおもう鬼神の候べきか。また釈迦仏・法華経の御そら事の候べきかと、ふかくおぼしめし候え。恐々謹言。
二月二十五日 日蓮 花押
御返事
(315)
上野殿御返事(末法要法の事)
弘安元年(ʼ78)4月1日 57歳 南条時光
白米一斗・いも一駄・こんにゃく五枚、わざと送り給び候い了わんぬ。
なによりも、石河兵衛入道殿のひめ御前の、度々御ふみをつかわしたりしが、三月の十四・五やげにて候いしやらん、御ふみありき。「この世の中をみ候に、病なき人もこんねんなんどをすぐべしと
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(314)上野殿御返事(水火二信抄) | 建治4年(’78)2月25日 | 57歳 | 南条時光 |
(315)上野殿御返事(末法要法の事) | 弘安元年(’78)4月1日 | 57歳 | 南条時光 |