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もみえ候わぬ上、もとより病ものにて候が、すでにきゅうになりて候。さいごの御ふみなり」とかかれて候いしが、されば、ついにはかなくならせ給いぬるか。
臨終に南無阿弥陀仏と申しあわせて候人は、仏の金言なれば一定の往生とこそ人も我も存じ候え。しかれども、いかなることにてや候いけん、仏のくいかえさせ給いて、「いまだ真実を顕さず」「正直に方便を捨つ」ととかせ給いて候があさましく候ぞ。これを日蓮が申し候えば、「そら事、うわのそらなり」と日本国にはいかられ候。
これのみならず、仏の小乗経には「十方に仏なし。一切衆生に仏性なし」ととかれて候えども、大乗経には「十方に仏まします。一切衆生に仏性あり」ととかれて候えば、たれか小乗経を用い候。皆、大乗経をこそ信じ候え。
これのみならず、ふかしぎのちがいめども候ぞかし。法華経は、釈迦仏、已今当の経々を皆くいかえしうちやぶりて、この経真実なりととかせ給いて候いしかば、御弟子等用いることなし。その時、多宝仏、証明をくわえ、十方の諸仏、舌を梵天につけ給いき。さて、多宝仏はとびらをたて、十方の諸仏は本土にかえらせ給いて後は、いかなる経々ありて法華経を釈迦仏やぶらせ給うとも、他人わえになりてやぶりがたし。しかれば、法華経已後の経々、普賢経・涅槃経等には、法華経をばほむることはあれどもそしることなし。しかるを、真言宗の善無畏等、禅宗の師々等、これをやぶれり。日本国、皆このことを信じぬ。例せば、将門・貞任なんどにかたらわれし人々のごとし。日本国すでに釈迦・多宝・十方の仏の大怨敵となりて数年になり候えば、ようやくやぶれゆくほどに、またこう申す
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(315)上野殿御返事(末法要法の事) | 弘安元年(’78)4月1日 | 57歳 | 南条時光 |