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ことなり。ただし、御身をきょうくんせさせ給え。上の御信用なきことはこれにもしりて候を、上をもっておどさせ給うこそおかしく候え。参ってきょうくん申さんとおもい候いつるに、うわてうたれまいらせて候。閻魔王に、我が身といとおしとおぼす御めと子とのひっぱられん時は、時光に手をやすらせ給い候わんずらん」と、にくげにうちいいておわすべし。
にいだ殿のこと、まことにてや候らん。おきつのこと、きこえて候。殿もびんぎ候わば、その義にて候べし。かまえて、おおきならん人申しいだしたらば、「あわれ、法華経のよきかたきよ。優曇華か、亀の浮き木か」とおぼしめして、したたかに御返事あるべし。
千丁万丁しる人も、わずかのことにたちまちに命をすて、所領をめさるる人もあり。今度、法華経のために命をすつることならば、なにはおしかるべき。薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給い、檀王は千歳が間身をゆかとなして今の釈迦仏といわれさせ給うぞかし。さればとて、ひが事をすべきにはあらず。今は、すてなば、かえりて人わらわれになるべし。かとうどなるようにて、つくりおとして、我もわらい、人にもわらわせんとするがきかいなるに、よくよくきょうくんせさせて、「人の多くきかんところにて人をきょうくんせんよりも、我が身をきょうくんあるべし」とて、かっぱとたたせ給え。一日二日が内にこれへきこえ候べし。事おおければ申さず。またまた申すべし。恐々謹言。
建治三年五月十五日 日蓮 花押
上野殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(311)上野殿御返事(梵帝御計らいの事) | 建治3年(’77)5月15日 | 56歳 | 南条時光 |