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も、うときも、「日蓮房を信じては、よもまどいなん。上の御気色もあしかりなん」と、かとうどなるようにて御きょうくん候なれば、賢人までも人のたばかりはおそろしきことなれば、一定法華経すて給いなん。なかなか色みえでありせばよかりなん。
大魔のつきたる者どもは、一人をきょうくんしおとしつれば、それをひっかけにして多くの人をせめおとすなり。日蓮が弟子に、しょう房と申し、のと房といい、なごえの尼なんど申せしものどもは、よくふかく、心おくびょうに、愚癡にして、しかも智者となのりしやつばらなりしかば、事のおこりし時、たよりをえておおくの人をおとせしなり。殿もせめおとされさせ給うならば、するがにしょうしょう信ずるようなる者も、また信ぜんとおもうらん人々も、皆、法華経をすつべし。されば、この甲斐国にも少々信ぜんと申す人々候えども、おぼろけならでは入れまいらせ候わぬにて候。なかなかしき人の、信ずるようにてなめりて候えば、人の信心をもやぶり候なり。
ただおかせ給え。梵天・帝釈等の御計らいとして、日本国一時に信ずることあるべし。その時、「我も本より信じたり、信じたり」と申す人こそ、おおくおわせんずらんめとおぼえ候。
御信用あつくおわするならば、「人だめにはあらず。我が故父の御ため。人は我がおやの後世にはかわるべからず。子なれば、我こそ故おやの後世をばとぶらうべけれ。郷一郷知るならば、半郷は父のため、半郷は妻子・眷属をやしなうべし。我が命は、事出できたらば上にまいらせ候べし」と、ひとえにおもいきりて、何事につけても、言をやわらげて法華経の信をうすくなさんずるようをたばかる人出来せば、我が信心をこころむるかとおぼして、「各々、これを御きょうくんあるはうれしき
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(311)上野殿御返事(梵帝御計らいの事) | 建治3年(’77)5月15日 | 56歳 | 南条時光 |