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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(311)

上野殿御返事(梵帝御計らいの事)

 建治3年(ʼ77)5月15日 56歳 南条時光

 五月十四日に、いものかしら一駄、わざとおくりたびて候。当時のいもは、人のいとまと申し、珠のごとし、くすりのごとし。
 さては、おおせつかわされて候こと、うけたまわり候いぬ。
 尹吉甫と申せし人は、ただ一人子あり。伯奇と申す。おやも賢なり、子もかしこし。いかなる人かこの中をば申したがうべきとおもいしかども、継母よりよりうったえしに用いざりしほどに、継母、すねんが間ようようのたばかりをなせし中に、蜂と申すむしを我がふところに入れて、いそぎいそぎ伯奇にとらせて、しかも父にみせ、われをけそうすると申しなして、うしなわんとせしなり。
 びんばさら王と申せし王は、賢王なる上、仏の御だんなの中に閻浮第一なり。しかもこの王は摩竭提国の主なり。仏はまた、この国にして法華経をとかんとおぼししに、王と仏と一同なれば、一定法華経とかれなんとみえて候いしに、提婆達多と申せし人、いかんがしてこのことをやぶらんとおもいしに、すべてたよりなかりしかば、とこうたばかりしほどに、頻婆娑羅王の太子・阿闍世王をとしごろとかくかたらいて、ようやく心をとり、おやと子とのなかを申したがえて阿闍世王をすかし父の頻