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婆娑羅王をころさせ、阿闍世王と心を一にし、提婆と阿闍世王と一味となりしかば、五天竺の外道・悪人、雲・かすみのごとくあつまり、国をたび、たからをほどこし、心をやわらげすかししかば、一国の王すでに仏の大怨敵となる。
欲界第六天の魔王、無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかわりしかば、形は人なれども力は第六天の力なり。大風の草木をなびかすよりも、大風の大海の波をたつるよりも、大地震の大地をうごかすよりも、大火の連宅をやくよりもさわがしく、おじわななきしことなり。
されば、はるり王と申せし王は、阿闍世王にかたらわれ、釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす。阿闍世王は、酔象を放って弟子を無量無辺ふみころさせつ。あるいは道に兵仗をすえ、あるいは井に糞を入れ、あるいは女人をかたらいてそら事いいつけて仏弟子をころす。舎利弗・目連が事にあい、かるだいは馬のくそにうずまれし、仏はせめられて一夏九十日馬のむぎをまいりし、これなり。
世間の人のおもわく、「悪人には、仏の御力もかなわざりけるにや」と思いて、信じたりし人々も音をのみてもの申さず、眼をとじてものをみることなし。ただ舌をふり、手をかきしばかりなり。結句は、提婆達多、釈迦如来の養母・蓮華比丘尼を打ちころし、仏の御身より血を出だせし上、誰の人か、かとうどになるべき。
かくようようになりての上、いかがしたりけん、法華経をとかせ給いぬ。この法華経に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」と云々。文の心は、我が
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(311)上野殿御返事(梵帝御計らいの事) | 建治3年(’77)5月15日 | 56歳 | 南条時光 |