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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 さて次の日、また御聴聞ありければ、西のみかど、人さわぎけり。「いかなることぞ」とききしかば、「今日は、めしゅうどのくびきらるる」とののしりけり。あわれ、わがおやはいままで有るべしとはおもわねども、さすが人のくびをきらるると申せば、我が身のなげきとおもいてなみだぐみたりけり。大将殿、あやしとごらんじて、「わちごはいかなるものぞ。ありのままに申せ」とありしかば、上くだんのこと、一々に申しけり。おさぶらいにありける大名・小名、みすの内、みなそでをしぼりけり。
 大将殿、かじわらをめしておおせありけるは、「大はしの太郎というめしゅうどまいらせよ」とありしかば、「只今くびきらんとて、ゆいのはまへつかわし候いぬ。いまはきりてや候らん」と申せしかば、このちご、御まえなりけれども、ふしころびなきにけり。おおせのありけるは、「かじわら、われとはしりて、いまだ切らずば、ぐしてまいれ」とありしかば、いそぎいそぎ、ゆいのはまへはせゆく。いまだいたらぬによばわりければ、すでに頸切らんとて刀をぬきたりけるときなりけり。
 さてかじわら、おおはしの太郎をなわつけながらぐしまいりて、おおにわにひきすえたりければ、大将殿、「このちごにとらせよ」とありしかば、ちご、はしりおりてなわをときけり。大はしの太郎は、わが子ともしらず、いかなることゆえにたすかるともしらざりけり。さて、大将殿、まためして、このちごにようようの御ふせたびて、おおはしの太郎をたぶのみならず、本領をも安堵ありけり。
 大将殿、おおせありけるは、「法華経の御事は昔よりさることとはききつたえたれども、丸は身にあたりて二つのゆえあり。一つには、故親父の御くびを太政入道に切られてあさましともいうばかりなかりしに、いかなる神仏にか申すべきとおもいしに、走湯山の妙法尼より法華経をよみつたえ、