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て、なくより外のことなし。「さて、いかがせん」といいしかば、「これより郎従あまたともせしかども、御かんきをかぼりければ、みなちりうせぬ。そののちは、いきてや、またしにてや、おとずるる人なし」とかたりければ、ふしころびなきて、いさむるをももちいざりけり。
ははいわく「おのれをやまでらにのぼすることは、おやのきょうようのためなり。仏に花をもまいらせよ、経をも一巻よみて孝養とすべし」と申せしかば、いそぎ寺にのぼりて、いえへかえる心なし。昼夜に法華経をよみしかば、よみわたりけるのみならず、そらにおぼえてありけり。
さて十二のとし、出家もせずしてかみをつつみ、とかくしてつくしをにげいでて、かまくらと申すところへたずねいりぬ。八幡の御前にまいりて、ふしおがみ申しけるは、「八幡大菩薩は日本第十六の王、本地は霊山浄土に法華経をとかせ給いし教主釈尊なり。衆生のねがいをみて給わんがために、神とあらわれさせ給う。今わがねがいみてさせ給え。おやは生きて候か、しにて候か」と申して、いぬの時より法華経をはじめて、とらの時までによみければ、なにとなくおさなきこえ、ほうでんにひびきわたり、こころすごかりければ、まいりてありける人々もかえらんことをわすれにき。皆人、いちのようにあつまりてみければ、おさなき人にて法師ともおぼえず、おうなにてもなかりけり。
おりしも、きょうのにいどの御さんけいありけり。人めをしのばせ給いてまいり給いたりけれども、御経のとうときこと、つねにもすぐれたりければ、はつるまで御聴聞ありけり。さてかえらせ給いておわしけるが、あまりなごりのおしさに人をつけておきて、大将殿へ「かかることあり」と申させ給いければ、めして、持仏堂にして御経よませまいらせ給いけり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(308)南条殿御返事(大橋太郎の事) | 建治2年(’76)閏3月24日 | 55歳 | 南条時光 |