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ろは、こなんじょうどのの法華経の御しんようのふかかりしことのあらわるるか。「王の心ざしをば臣のべ、おやの心ざしをば子の申しのぶる」とは、これなり。あわれ、ことののうれしとおぼすらん。
つくしにおおはしの太郎と申しける大名ありけり。大将どのの御かんきをかぼりて、かまくらゆいのはま、つちのろうにこめられて十二年。めしはじめられしとき、つくしをうちいでしに、ごぜんにむかいて申せしは「ゆみやとるみとなりて、きみの御かんきをかぼらんことはなげきならず。また、ごぜんにおさなくよりなれしが、いまはなれんこというばかりなし。これはさておきぬ。なんしにてもにょしにても、一人なきことなげきなり。ただし、かいにんのよし、かたらせ給う。おうなごにてやあらんずらん、おのこごにてや候わんずらん。ゆくえをみざらんことくちおし。また、かれが人となりて、ちちというものもなからんなげき、いかがせんとおもえども、力及ばず」とていでにき。
かくて月ひすぐれば、ことゆえなく生まれにき。おのこごにてありけり。七歳のとし、やまでらにのぼせてありければ、ともだちなりけるちごども、「おやなし」とわらいけり。いえにかえりて、ははにちちをたずねけり。はは、のぶるかたなくして、なくより外のことなし。このちご申す。「天なくしては雨ふらず。地なくしてはくさおいず。たとい母ありとも、ちちなくばひととなるべからず。いかに父のありどころをばかくし給うぞ」とせめしかば、母せめられて云う、「わちごおさなければ申さぬなり。ありようはこうなり」。
このちご、なくなく申すよう、「さて、ちちのかたみはなきか」と申せしかば、「これあり」とて、おおはしのせんぞの日記、ならびにはらの内なる子にゆずれる自筆の状なり。いよいよおやこいしく
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(308)南条殿御返事(大橋太郎の事) | 建治2年(’76)閏3月24日 | 55歳 | 南条時光 |