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上野殿御消息(四徳四恩の事)
建治元年(ʼ75) 54歳 南条時光
三世の諸仏の世に出でさせ給いても、皆々四恩を報ぜよと説き、三皇五帝、孔子・老子・顔回等の古の賢人は、四徳を修せよとなり。四徳とは、一には父母に孝あるべし、二には主に忠あるべし、三には友に合って礼あるべし、四には劣れるに逢って慈悲あれとなり。
一に父母に孝あれとは、たとい親はものに覚えずとも、悪しざまなることを云うとも、いささかも腹も立てず、誤る顔を見せず、親の云うことに一分も違えず、親によき物を与えんと思って、せめてすることなくば、一日に二・三度えみて向かえとなり。
二に主に合って忠あるべしとは、いささかも主にうしろめたなき心あるべからず。たとい我が身は失わるとも、主にはかまえてよかれと思うべし。「かくれての信あれば、あらわれての徳あるなり」と云々。
三には友におうて礼あれとは、友達の一日に十度二十度来れる人なりとも、千里二千里来れる人のごとく思うて、礼儀いささかおろかに思うべからず。
四に劣れる者に慈悲あれとは、我より劣りたらん人をば我が子のごとく思って、一切あわれみ、慈悲あるべし。これを四徳と云うなり。かくのごとく振る舞うを、賢人とも聖人とも云うべし。この
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(305)上野殿御消息(四徳四恩の事) | 建治元年(’75) | 54歳 | 南条時光 |