1851ページ
四つのことあれば、余のことにはよからねどもよき者なり。かくのごとく四つの徳を振る舞う人は、外典三千巻をよまねども、読みたる人となれり。
一に仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。
一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧、和合して我が身となる。母の胎内に宿ること二百七十日、九月の間、三十七度、死ぬるほどの苦しみあり。生み落とす時、たえがたしと思い念ずる息、頂より出ずる煙、梵天に至る。さて生み落とされて乳をのむこと一百八十余石、三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、まずこの父と母との恩を報ずべし。父の恩の高きこと、須弥山なおひきし。母の恩の深きこと、大海還って浅し。相構えて父母の恩を報ずべし。
二に国主の恩を報ぜよとは、生まれて已来、衣食のたぐいより初めて、皆これ国主の恩を得てあるものなれば、「現世安穏にして、後に善処に生ず」と祈り奉るべし。
三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば、昔は一切の男は父なり、女は母なり。しかるあいだ、生々世々に皆恩ある衆生なれば、皆仏になれと思うべきなり。
四に三宝の恩を報ぜよとは、最初成道の華厳経を尋ぬれば、経も大乗、仏も報身如来にてましますあいだ、二乗等は昼の梟、夜の鷹のごとくして、かれを聞くといえども、耳しい・目しいのごとし。しかるあいだ、四恩を報ずべきかと思うに、女人をきらわれたるあいだ、母の恩報じがたし。次に、仏、阿含の小乗経を説き給いしこと十二年、これこそ小乗なれば我らが機にしたがうべきかと思えば、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(305)上野殿御消息(四徳四恩の事) | 建治元年(’75) | 54歳 | 南条時光 |