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の闘諍も、いかでかこれにはすぐべき。法華経の第四に云わく「如来の現に在すすらなお怨嫉多し」等云々。第五に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。天台大師も、恐らくは、いまだこの経文をばよみ給わず。一切世間、皆信受せし故なり。伝教大師も及び給うべからず。「いわんや滅度して後をや」の経文に符合せざるが故に。日蓮、日本国に出現せずば、如来の金言も虚しくなり、多宝の証明もなにかせん。十方の諸仏の御語も妄語となりなん。仏の滅後二千二百二十余年、月氏・漢土・日本に「一切世間多怨難信(一切世間に怨多くして信じ難し)」の人なし。日蓮なくば、仏語既に絶えなん。
かかる身なれば、蘇武がごとく雪を食として命を継ぎ、李陵がごとく簑をきて世をすごす。山林に交わって、果なき時は空しくして両三日を過ぐ。鹿の皮破れぬれば裸にして三・四月に及べり。かかる者をば、何としてか哀れとおぼしけん、いまだ見参にも入らぬ人の、膚を隠す衣を送り給び候こそ、いかにとも存じがたく候え。この帷をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候いなば、御経の文字は六万九千三百八十四字、一々の文字は皆金色の仏なり。衣は一つなれども、六万九千三百八十四仏に一々にきせまいらせ給えるなり。されば、この衣を給びて候えば、夫妻二人ともに、この仏御尋ね坐して、「我が檀那なり」と守らせ給うらん。今生には、祈りとなり、財となり、御臨終の時は、月となり、日となり、道となり、橋となり、父となり、母となり、牛馬となり、輿となり、車となり、蓮華となり、山となり、二人を霊山浄土へ迎え取りまいらせ給うべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
建治元年乙亥八月 日 日蓮 花押
この文は、藤四郎殿女房と、常により合いて御覧あるべく候。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(304)単衣抄 | 建治元年(’75)8月 | 54歳 | 南条殿の縁者 |