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実相乃至本末究竟等」云々。寿量品に云わく「我は実に成仏してより已来、無量無辺なり」等云々。この経文に「我」と申すは十界なり。十界本有の仏なれば、浄土に住するなり。方便品に云わく「この法は法位に住して、世間の相は常住なり」云々。世間のならいとして三世常恒の相なれば、なげくべきにあらず、おどろくべきにあらず。相の一字は八相なり。八相も生死の二字をいでず。かくさとるを法華経の行者の即身成仏と申すなり。
故聖霊はこの経の行者なれば即身成仏疑いなし。さのみなげき給うべからず。また、なげき給うべきが凡夫のことわりなり。ただし、聖人の上にもこれあるなり。釈迦仏御入滅のとき、諸大弟子等のさとりのなげき、凡夫のふるまいを示し給うか。
いかにも、いかにも、追善供養を心のおよぶほどはげみ給うべし。古徳のことばにも、「心地を九識にもち、修行をば六識にせよ」とおしえ給う。ことわりにもや候らん。この文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ。秘しさせ給え、秘しさせ給え。あなかしこ、あなかしこ。
七月十一日 日蓮 花押
上野殿後家尼御前御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(297)上野殿後家尼御返事 | 文永2年(’65)7月11日 | 44歳 | 上野尼 |