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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(297)

上野殿後家尼御返事

 文永2年(ʼ65)7月11日 44歳 上野尼

 御供養の物、種々給び畢わんぬ。
 そもそも、上野殿死去の後はおとずれ冥途より候やらん、きかまほしくおぼえ候。
 ただし、あるべしともおぼえず。もし夢にあらずんば、すがたをみること、よもあらじ。まぼろしにあらずんば、みみえ給うこと、いかが候わん。さだめて霊山浄土にてさばのことをばちゅうやにきき御覧じ候らん。
 妻子等は肉眼なれば、みさせきかせ給うことなし。ついには一所とおぼしめせ。
 生々世々の間、ちぎりし夫は大海のいさごのかずよりもおおくこそおわしまし候いけん。今度のちぎりこそまことのちぎりのおとこよ。そのゆえは、おとこのすすめによりて法華経の行者とならせ給えば、仏とおがませ給うべし。
 いきておわしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり。法華経の第四に云わく「もし能く持つことあらば、即ち仏身を持つ」云々。
 夫れ、浄土というも、地獄というも、外には候わず。ただ我らがむねの間にあり。これをさとるを