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れ候いて、日蓮はただ一人、十人ばかり、ものの要にあうものはわずかに三・四人なり。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなずまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自身もきられ打たれ、結句にて候いしほどに、いかが候いけん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候え。第四の巻に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」。第五の巻に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。日本国に、法華経よみ学する人これ多し。人のめをねらい、ぬすみ等にて打ちはらるる人は多けれども、法華経の故にあやまたるる人は一人もなし。されば、日本国の持経者は、いまだこの経文にはあわせ給わず。ただ日蓮一人こそよみはべれ。「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」、これなり。されば、日蓮は日本第一の法華経の行者なり。
もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし。「日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なり」となのらせ給え。よもほうしんなきことは候わじ。ただし、一度は念仏、一度は法華経となえつ。二心ましまし、人の聞きにはばかりなんどだにも候わば、よも、「日蓮が弟子」と申すとも御用い候わじ。後にうらみさせ給うな。ただし、また法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候わば、あわれ、とくとく見参して、みずから申しひらかばや。語はふみにつくさず、ふみは心をつくしがたく候えば、とどめ候いぬ。恐々謹言。
文永元年十二月十三日 日蓮 花押
なんじょうの七郎殿
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(296)南条兵衛七郎殿御書 | 文永元年(’64)12月13日 | 43歳 | 南条兵衛七郎 |