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と申すはこれなり。一切衆生、石をにぎりて珠とおもう。念仏を申して法華経をすてたる、これなり。このことをば申せば、還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をますなり〈これ五〉。
ただし、とのはこのぎをきこしめして、念仏をすて法華経にならせ給いてはべりしが、定めてかえりて念仏者にぞならせ給いてはべるらん。法華経をすてて念仏者とならせ給わんは、峰の石の谷へころび、空の雨の地におつるとおぼせ。大阿鼻地獄疑いなし。大通結縁の者の三千塵点劫を、久遠下種の者の五百塵点を経しこと、大悪知識にあいて法華経をすてて、念仏等の権教にうつりし故なり。一家の人々、念仏者にてましましげに候いしかば、さだめて念仏をぞすすめまいらせ給い候らん。我が信じたることなればそれも道理にては候えども、悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人々なりとおぼして、大信心を起こし、御用いあるべからず。大悪魔は貴き僧となり、父母・兄弟等につきて、人の後世をばさうるなり。いかに申すとも、法華経をすてよとたばかりげに候わんをば、御用いあるべからず。
まず御きょうざくあるべし。念仏、実に往生すべき証文つよくば、この十二年が間、「念仏者、無間地獄」と申すをば、いかなるところへ申しいだしてもつめずして候べきか。よくよくゆわきことなり。法然・善導等がかきおきて候ほどの法門は、日蓮らは十七・八の時よりしりて候いき。このごろの人の申すこと、これにすぎず。結句は法門はかなわずして、よせてたたかいにし候なり。念仏者は数千万、かとうど多く候なり。日蓮はただ一人、かとうどは一人もこれなし。今までもいきて候はふかしぎなり。
今年も十一月十一日、安房国東条の松原と申す大路にして、申酉時、数百人の念仏等にまちかけら
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(296)南条兵衛七郎殿御書 | 文永元年(’64)12月13日 | 43歳 | 南条兵衛七郎 |