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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

仏という。これにまようを凡夫と云う。これをさとるは法華経なり。もししからば、法華経をたもちたてまつるものは、地獄即寂光とさとり候ぞ。たとい無量億歳のあいだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば、ただいつも地獄なるべし。このこと、日蓮が申すにはあらず、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めおき給いしなり。
 されば、権教を修行する人は、火にやくるものまた火の中へいり、水にしずむものなおふちのそこへ入るがごとし。法華経をたもたざる人は、火と水との中にいたるがごとし。法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ、阿弥陀経・大日経等を信じ給うは、なお、火より火の中、水より水のそこへ入るがごとし。いかでか苦患をまぬかるべきや。等活・黒縄・無間地獄の火坑、紅蓮・大紅蓮の氷の底に入りしずみ給わんこと疑いなかるべし。法華経の第二に云わく「その人は命終して、阿鼻獄に入らん。かくのごとく展転して、無数劫に至らん」云々。
 故聖霊はこの苦をまぬかれ給い、すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり。経に云わく「たとい大火に入るとも、火も焼くこと能わじ。もし大水の漂わすところとならんに、その名号を称えば、即ち浅き処を得ん」。また云わく「火も焼くこと能わず、水も漂わすこと能わず」云々。あらたのもしや、たのもしや。
 詮ずるところ、地獄を外にもとめ、獄卒の鉄杖、阿防羅刹のかしゃくのこえ、別にこれなし。この法門ゆゆしき大事なれども、尼にたいしまいらせておしえまいらせん。例せば、竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給いしがごとし。