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の仰せをそむかんもの、天神地祇にすてられたてまつらざらんや。不孝第一の者なり。故に、「また教詔すといえども、信受せず」等と説かれたり。たとい、爾前の経につかせ給いて百千万億劫行ぜさせ給うとも、法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給わずば、不孝の人たる故に、三世十方の聖衆にもすてられ、天神地祇にもあだまれ給わんか〈これ一〉。
たとい五逆十悪・無量の悪をつくれる人も、根だにも利なれば、得道なることこれあり。提婆達多・鴦崛摩羅等これなり。たとい根鈍なれども、罪なければ得道なることこれあり。須利槃特等これなり。我ら衆生は、根の鈍なること、すりはんどくにもすぎ、物のいろかたちをわきまえざること、羊目のごとし。貪・瞋・癡きわめてあつく、十悪は日々におかし、五逆をばおかさざれども、五逆に似たる罪、また日々におかす。
また十悪五逆にすぎたる謗法は人ごとにこれあり。させる語をもって法華経を謗ずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもちいず。またもちいたるようなれども、念仏等のようには信心ふかからず。信心ふかき者も、法華経のかたきをばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部読み書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとえば、朝につかうる人の、十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏もせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて、還ってとがに行われんがごとし。当世の人々は謗法の者としろしめすべし〈これ二〉。
仏入滅の次の日より千年をば正法と申して、持戒の人多く、得道の人これあり。正法千年の後は像
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(296)南条兵衛七郎殿御書 | 文永元年(’64)12月13日 | 43歳 | 南条兵衛七郎 |