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その詮を尋ぬれば教主釈尊の御子なり。三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息なり。全く阿弥陀仏の子にあらざるなり。
九月 日 日蓮 花押
南部六郎実長殿
(283)
南部六郎殿御書
文永8年(ʼ71)5月16日 50歳 波木井実長
眠れる師子に手を付けざれば瞋らず、流れにさおを立てざれば浪立たず、謗法を呵責せざれば留難なし。
「もし善比丘あって、法を壊る者を見て、置いて、呵責せずんば」の「置」の字をおそれずんば、今は吉し、後を御らんぜよ、無間地獄疑いなし。故に、南岳大師、四安楽行に云わく「もし菩薩有って、悪人を将護して治罰すること能わず、それをして悪を長ぜしめ、善人を悩乱し、正法を敗壊せば、この人は実には菩薩にあらず。外には詐侮を現じ、常にこの言を作さん。『我は忍辱を行ず』と。その人は命終して、諸の悪人とともに地獄に堕ちん」云々。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(282)六郎実長御消息 | 文永6年(’69)9月* | 波木井実長 | |
(283)南部六郎殿御書 | 文永8年(’71)5月16日 | 50歳 | 波木井実長 |