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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(282)

六郎実長御消息

 文永6年(ʼ69)9月* 波木井実長

 詮ずるところ、念仏を無間地獄と云う義に二つ有り。
 一には、念仏者を無間地獄とは、日本国の一切の念仏衆の元祖・法然上人の選択集に、浄土三部を除いてより以外、一代聖教、いわゆる法華経・大日経・大般若経等、一切大小の経を書き上げて、「捨閉閣抛」等云々。
 これについて、上人、亀鏡と挙げられしところの浄土三部経のその中に、双観経の阿弥陀仏の因位・法蔵比丘の四十八願に云わく「ただ五逆と誹謗正法とのみを除く」と云々。法然上人も「乃至十念」の中には入り給うといえども、「法華経の門を閉じよ」と書かれて候えば、阿弥陀仏の本願に漏れたる人にあらずや。その弟子、その檀那等も、またもってかくのごとし。
 法華経の文には「もし人信ぜずして乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」と云々。阿弥陀仏の本願と法華経の文と真実ならば、法然上人は無間地獄に堕ちたる人にあらずや。一切の経の性相に定めて云わく「師堕つれば弟子堕つ。弟子堕つれば檀那堕つ」と云々。譬えば、謀叛の者の郎従等のごとし。御不審有らば、選択を披見あるべし〈これ一〉。