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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

るに、今の蓮、仏意に在るの時は、本性清浄の当体の蓮と成る。もし機情に就かば、この蓮華、譬喩の蓮と成る』。
 次に蓮の体とは、体において多種有り。
 一には徳体の蓮。謂わく、本性の三諦を蓮の体となす。
 二には本性の蓮の体。三千の諸法、本より已来当体不動なるを、蓮の体となす。
 三には果海真善の体。一切諸法は本これ三身にして寂光土に住す。たとい一法なりといえども、三身を離れざるが故に、三身の果をもって蓮の体となす。
 四には大分真如の体。謂わく、不変・随縁の二種の真如をならびに証分の真如と名づく。本・迹、寂・照等の相を分かたず、諸法の自性不可思議なるを蓮の体となす。
 次に蓮の宗とは、果海の上の因果なり。和尚云わく『六即の次位は、妙法蓮華経の五字の中には正しく蓮の字に在り。蓮門の五重玄の中には正しく蓮の字より起こる』。所以はいかん。理即は本性に名づく。本性の真如、果性円満の故に理即を蓮と名づけ、果海本性の解・行・証の位に住するを果海の次位と名づく。
 智者大師、自解仏乗の内証をもって明らかに経旨を見、蓮の義において六即の次位を建立す。故に文に云わく『この六即の義は一家より起これり』。しかるに、始覚の理に依って在纏真如を指して理即となし、妙覚の証理を出纏真如と名づく。正しく出纏のために諸の万行を修するが故に、法性の理の上の因果なり。故にまた蓮の宗と名づく。