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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

てあるべしと、釈迦仏・多宝仏・十方の諸の仏菩薩・天神七代地神五代の神々・鬼子母神・十羅刹女・四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王・水神・風神・山神・海神・大日如来・普賢・文殊・日月等の諸尊たちにほめられ奉るあいだ、無量の大難をも堪忍して候なり。ほめられぬれば我が身の損ずるをもかえりみず、そしられぬる時はまた我が身のやぶるるをもしらずふるまうことは、凡夫のことわざなり。
 いかにも、今度、信心をいたして、法華経の行者にてとおり、日蓮が一門となりとおし給うべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば、釈尊久遠の弟子たること、あに疑わんや。経に云わく「我は久遠より来、これらの衆を教化せり」とは、これなり。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は、男女はきらうべからず、皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱えがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱えつたうるなり。未来もまたしかるべし。これ、あに地涌の義にあらずや。あまつさえ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし。
 ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし。釈迦仏・多宝仏・十方の諸の仏菩薩、虚空にして二仏うなずき合い、定めさせ給いしは別のことにはあらず。ただひとえに末法の令法久住の故なり。既に、多宝仏は半座を分かちて釈迦如来に奉り給いし時、妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦・多宝の二仏、大将としてさだめ給いしこと、あにいつわりなるべきや。しかしながら我ら衆生を仏になさんとの御談合なり。