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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

疵をこうぶり、ある時は遠流、ある時は弟子をころされ、ある時はうちおわれなんどするほどに、去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかぼりて、北国佐渡の島にうつされて候いしなり。
 世間には一分のとがもなかりし身なれども、故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を地獄に堕ちたりと申す法師なれば謀叛の者にもすぎたりとて、相州鎌倉竜の口と申す処にて頸を切らんとし候いしが、科は大科なれども法華経の行者なれば左右なくうしないなばいかんがとやおもわれけん。また、遠国の島にすておきたるならばいかにもなれかし、上ににくまれたる上、万民も父母のかたきのようにおもいたれば、道にてもまた国にても、もしはころすか、もしはかつえしぬるかにならんずらんとあてがわれてありしに、法華経・十羅刹の御めぐみにやありけん、あるいは天とがなきよしを御らんずるにやありけん、島にてあだむ者は多かりしかども、中興次郎入道と申せし老人ありき。
 彼の人は、年ふりたる上、心かしこく身もたのしくて、国の人にも人とおもわれたりし人の、「この御房は、ゆえある人にや」と申しけるかのゆえに、子息等もいとうもにくまず、その已下の者ども、たいし彼らの人々の下人にてありしかば、内々あやまつこともなく、ただ上の御計らいのままにてありしほどに、水は濁れどもまたすみ、月は雲かくせどもまたはるることわりなれば、科なきことすでにあらわれて、いいしこともむなしからざりけるかのゆえに、御一門・諸大名はゆるすべからざるよし申されけれども、相模守殿の御計らいばかりにて、ついにゆり候いてのぼりぬ。
 ただし、日蓮は日本国には第一の忠の者なり。肩をならぶる人は先代にもあるべからず、後代にもあるべしとも覚えず。その故は、去ぬる正嘉年中の大地震、文永元年の大長星の時、内外の智人、そ