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しかるに、日蓮は中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者、民が子にて候いしかば、日本国七百余年に一人もいまだ唱えまいらせ候わぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人の、父母のごとく、日月のごとく、主君のごとく、わたりに船のごとく、渇して水のごとく、うえて飯のごとく思って候南無阿弥陀仏を、「無間地獄の業なり」と申し候ゆえに、食に石をたいたるように、がんせきに馬のはねたるように、渡りに大風の吹き来るように、じゅらくに大火のつきたるように、にわかにかたきのよせたるように、とわりのきさきになるように、おどろき、そねみ、ねたみ候ゆえに、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間、退転なく申しつより候こと、月のみつるがごとく、しおのさすがごとく、はじめは日蓮ただ一人唱え候いしほどに、見る人、値う人、聞く人、耳をふさぎ、眼をいからかし、口をひそめ、手をにぎり、はをかみ、父母・兄弟・師匠・ぜんうもかたきとなる。後には所の地頭・領家、かたきとなる。後には一国さわぎ、後には万人おどろくほどに、あるいは人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなえ、あるいは悪口のためにとなえ、あるいは信ずるに似て唱え、あるいはそしるに似て唱えなんどするほどに、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経、のこりの九分は、あるいは両方、あるいはうたがい、あるいは一向念仏者なる者、父母のかたき、主君のかたき、宿世のかたきのようにののしる。村主・郷主・郡主・国主等は、謀叛の者のごとくあだまれたり。
かくのごとく申すほどに、大海の浮き木の風に随って定めなきがごとく、軽毛の虚空にのぼりて上下するがごとく、日本国をおわれあるくほどに、ある時はうたれ、ある時はいましめられ、ある時は
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(273)中興入道消息 | 弘安2年(’79)11月30日 | 58歳 | 中興入道夫妻 |