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もんじ給うゆえに、法華経の行者をあだむ人を罰し給うこと、父母のかたきよりも朝敵よりも重く大科に行い給うなり。
しかるに、貴辺は故次郎入道殿の御子にておわするなり。御前はまたよめなり。いみじく心かしこかりし人の子とよめとにおわすればや、故入道殿のあとをつぎ、国主も御用いなき法華経を御用いあるのみならず、法華経の行者をやしなわせ給いて、としどしに千里の道をおくりむかえ、去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、北風吹けば南海のいろくずその風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿その風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん。いわんや、かのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月のごとく浄土をてらし、孝養の人ならびに妻子は、現世には寿を百二十年持って、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給わんこと、水すめば月うつり、つづみをうてばひびきのあるがごとしとおぼしめし候え等云々。これより後々の御そとばにも、法華経の題目を顕し給え。
弘安二年己卯十一月三十日 身延山 日蓮 花押
中興入道殿女房
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(273)中興入道消息 | 弘安2年(’79)11月30日 | 58歳 | 中興入道夫妻 |