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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

るがごとし。
 ただ日蓮一人ばかり、このことを知りぬ。命を惜しんで云わずば、国恩を報ぜぬ上、教主釈尊の御敵となるべし。これを恐れずしてありのままに申すならば、死罪となるべし。たとい死罪はまぬかるとも流罪は疑いなかるべしとは兼ねて知ってありしかども、仏恩重きが故に、人をはばからず申しぬ。
 案にたがわず、両度まで流されて候いし中に、文永九年の夏の比、佐渡国石田郷一谷といいし処に有りしに、預かりたる名主等は、公といい私といい、父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに、宿の入道といい、めといい、つかうものといい、始めはおじおそれしかども、先世のことにやありけん、内々不便と思う心付きぬ。預かりよりあずかる食は少なし、付ける弟子は多くありしに、わずかの飯の二口三口ありしを、あるいはおしきに分け、あるいは手に入れて食いしに、宅の主、内々心あって、外にはおそるるようなれども内には不便げにありしこと、いずれの世にかわすれん。我を生んでおわせし父母よりも、当時は大事とこそ思いしか。いかなる恩をもはげむべし。まして約束せしことたがうべしや。
 しかれども、入道の心は後世を深く思ってある者なれば、久しく念仏を申しつもりぬ。その上、阿弥陀堂を造り、田畠もその仏の物なり。地頭もまたおそろしなんど思って、直ちに法華経にはならず。これは、彼の身には第一の道理ぞかし。しかれども、また、無間大城は疑いなし。たといこれより法華経を遣わしたりとも、「世間もおそろしければ、念仏すつべからず」なんど思わば、火に水を合わせたるがごとし。謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさんこと疑いなかるべし。入道、地獄に堕つ