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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

宅々人々ごとに阿弥陀仏を書き造り、あるいは人ごとに、口々に、あるいは高声に唱え、あるいは一万遍、あるいは六万遍なんど唱うるに、少しも智慧ある者はいよいよこれをすすむ。譬えば、火にかれたる草をくわえ、水に風を合わせたるに似たり。
 この国の人々は、一人もなく教主釈尊の御弟子・御民ぞかし。しかるに、阿弥陀等の他仏を一仏もつくらずかかず念仏も申さずある者は、悪人なれども、釈迦仏を捨て奉る色はいまだ顕れず。一向に阿弥陀仏を念ずる人々は、既に釈迦仏を捨て奉る色顕然なり。彼の人々のはかなき念仏を申す者は悪人にてあるぞかし。父母にもあらず主君・師匠にてもおわせぬ仏をば、いとおしき妻のようにもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨てて、乳母のごとくなる法華経をば口にも誦し奉らず。これあに不孝の者にあらずや。この不孝の人々、一人・二人・百人・千人ならず、一国・二国ならず、上一人より下万民にいたるまで、日本国皆こぞって一人もなく三逆罪のものなり。
 されば、日月色を変じてこれをにらみ、大地もいかりておどりあがり、大せいせい天にはびこり、大火国に充満すれども、僻事ありともおもわず、「我らは念仏にひまなし。その上、念仏堂を造り、阿弥陀仏を持ち奉る」なんど自讃するなり。これは賢きようにてはかなし。譬えば、若き夫妻等が、夫は女を愛し、女は夫をいとおしむほどに、父母のゆくえをしらず。父母は衣薄けれども、我はねや熱し。父母は食せざれども、我は腹に飽きぬ。これは第一の不孝なれども、彼らは失ともしらず。いわんや、母に背く妻、父にさかえる夫、逆重罪にあらずや。阿弥陀仏は十万億のあなたに有って、この娑婆世界には一分も縁なし。なにと云うとも故もなきなり。馬に牛を合わせ、犬に猿をかたらいた