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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

すでに地獄に堕ちぬべかりしが、あるいは改悔して地獄を脱れたる者もあり、あるいはただ依経ばかりをひろめて法華経の讃歎をもせざれば、生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり。しかるを、末々の者このことを知らずして、諸人一同に信をなしぬ。譬えば、破れたる船に乗って大海に浮かび、酒に酔える者の火の中に臥せるがごとし。
 日蓮、これを見し故に、たちまちに菩提心を発してこのことを申し始めしなり。世間の人々、いかに申すとも信ずることはあるべからず、かえりて死罪・流罪となるべしとはかねて知ってありしかども、今の日本国は法華経をそむき、釈迦仏をすつるゆえに、後生に阿鼻大城に堕ちんことはさておきぬ、今生に必ず大難に値うべし。いわゆる、他国よりせめきたりて、上一人より下万民に至るまで、一同の歎きあるべし。譬えば、千人の兄弟が一人の親を殺したらんに、この罪を千に分けては受くべからず。一々に皆、無間大城に堕ちて、同じく一劫を経べし。
 この国も、またまたかくのごとし。娑婆世界は、五百塵点劫より已来、教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木、一分も他仏の有ならず。また一切衆生は釈尊の御子なり。譬えば、成劫の始め、一人の梵王下って六道の衆生をば生んで候ぞかし。梵王の一切衆生の親たるがごとく、釈迦仏もまた一切衆生の親なり。また、この国の一切衆生のためには、教主釈尊は明師にておわするぞかし。父母を知るも師の恩なり。黒白を弁うも釈尊の恩なり。
 しかるを、天魔の身に入って候善導・法然なんどが申すに付いて、国土に阿弥陀堂を造り、あるいは一郡・一郷・一村等に阿弥陀堂を造り、あるいは百姓万民の宅ごとに阿弥陀堂を造り、あるいは